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横浜地方裁判所川崎支部 昭和58年(ワ)451号 判決

主文

一  被告は、原告坂田直也に対し金四三三四万四五三七円、同坂田勝則に対し金三〇一万三二六九円、同坂田郷子に対し金二六二万五〇〇〇円及び右各金員に対する昭和五九年一月一七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その三を被告の負担とし、その余は原告らの負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告坂田直也に対し六二二二万四三四六円、原告坂田勝則に対し七三四万一六四二円、原告坂田郷子に対し五五〇万円及び右各金員に対する昭和五九年一月一七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

(一) 原告坂田直也(以下、原告直也という)は、原告坂田勝則(以下、原告勝則という)と原告坂田郷子(以下、原告郷子という)の長男として昭和五四年二月一六日に出生した男児である。

(二) 被告は、肩書地に鈴木産婦人科を設置し、診療業務を行っている。

2  原告直也の出生と損害発生の経緯

原告郷子は、昭和五四年二月一六日午後六時三分に、被告経営の右鈴木産婦人科において、被告の分娩介助の下、原告直也を分娩した(以下、本件分娩という)が、分娩当時同原告は新生児仮死の状態にあり、その結果、昭和五六年六月一九日、脳性麻痺(以下、本件脳性麻痺という)と診断され、身体障害者二級の認定を受けた。その経過は以下のとおりである。

(一) 原告郷子は、原告直也を妊娠後、被告方に、昭和五三年八月一六日を初診として数回にわたり通院した。

(二) 原告郷子は、同五四年二月一五日午後二時五七分ころ自然破水し、また同四時ころ血液の混じったおりものがあり、同五時ころ被告の指示で被告方に入院した。

(三) 同月一六日午前九時一五分、被告は、原告郷子を診察し、メトロイリーゼを行い、更にプロスタルモンEを一時間ごとに六回六錠投与し、その間、同原告の骨盤をレントゲン撮影(グットマン法-側面撮影法)した。

(四) 同日午前一一時ころ、原告郷子は分娩室に入り、アトニンOを五単位点滴静脈注射された。その後、原告郷子は他の産婦の出産のため二度ほど待機室に戻ったが、同原告は、分娩室において寝ている際、田中医師らが「一センチぐらい大きいんだけれども、どうしますか。」と話しているの聞いている。

(五) 原告郷子は、被告及び他の医師に対し、腰が裂けそうに痛いので早く帝王切開をするよう申出たが、被告らは、最初はみんな痛いんだからというのみで取合わなかった。

(六) 同日午後五時過ぎころ、被告、田中医師及び雨宮医師(以下被告らという)は、吸引カップを使っての吸引分娩を試みることにし、看護婦を原告郷子の上に馬乗りになって押させたうえ、二度にわたり吸引カップを使用して吸引分娩を試みたが、結局分娩できなかった。

(七) その後、被告らは帝王切開による分娩に方針を切替え、その準備を始め、同日午後五時五八分に加刀し、同日午後六時三分に原告直也が娩出した。

(八) 出生時の原告直也の状態は、胎児切迫仮死による新生児仮死の状態であり(ちなみに、同原告は、出生時に身長四八・五センチメートル、体重二六二〇グラム、頭囲三一・〇センチメートル、胸囲三〇・五センチメートルであった)、被告は、同原告に対し、気管カテーテルによる吸引をし、酸素を与え、背中をこすったり足をたたいたりした後、保育器に入れて酸素を補給した。

(九) 同月一七日午前九時過ぎころ、被告は、原告郷子の母である訴外望月葉子(以下、訴外望月という)に、原告直也の状態がよくないので転院させる旨連絡し、同日、同原告は、川崎市立病院に入院した。その際、被告の産婦人科の婦長は、訴外望月に対し、原告直也が前夜一二時ころ二回ほどえび状のそりになった旨説明した。そして、川崎市立病院の中谷医師は、原告直也を頭蓋内出血と診断し、訴外望月に対し、帝王切開の時期が早ければなんでもなかった、酸素がなくなっても三分以内であればよかったと説明した。

(一〇) 原告直也は、生後六か月ころ脳神経科専門の瀬川クリニックで診察を受け、生後九か月ころ運動発達遅延と診断された。また、そのころ足の訓練のため、整肢療護院(心身障害児総合医療療育センター)において、ボイター法という厳しい訓練を受けた。そして、原告直也は、昭和五六年六月一九日、同院で脳性麻痺と診断され、身体障害者二級の認定を受けた。

(一一) 原告直也は、現在も同院に通院を余儀なくされ、小学校も特殊学級であり、手足も不自由な状態にある。

3  被告の責任

(一) 不法行為責任

被告は、原告郷子の分娩介助に際し、以下のとおり、産婦人科医師としての注意義務を懈怠し、因って原告直也に本件脳性麻痺の結果を生じさせた。

(1) C・P・D(児頭骨盤不適合)の存在を発見できず、当初から帝王切開の方法を選択しなかった過失

(イ) C・P・D(児頭骨盤不適合)とは、「児頭と骨盤の間に大きな不均衡が存在するために、分娩が停止するか、あるいは母児に危険が切迫したり、あるいは障害が当然予想される場合」をいい、C・P・Dが認められる場合には陣痛促進及び吸引分娩をしてはならず、帝王切開の方法を選択すべきであるところ、原告郷子の骨産道は、扁平仙骨・中部産道狭小骨盤であり、産道の前後径のうち、骨盤濶部が入口より短くなっているため、児頭が骨盤入口に侵入しても濶部で骨盤の強い抵抗に遭遇し、回旋・下降が妨げられて分娩が停止する可能性が強かったものであり、また、原告直也は、前記2(八)主張のとおり、出生時に体重二六二〇グラム、頭囲三一・〇センチメートルと正常な大きさに成長していたのであるから、C・P・Dに極めてなり易い状態であった。のみならず、本件においては、前記2(七)主張のとおり、原告直也を帝王切開により娩出させた雨宮医師が、術後診断として、カルテにC・P・Dと記載していることからも、同原告の出産について客観的にC・P・Dが存在したことは明らかである。

(ロ) C・P・Dの有無については、児頭と骨盤の適合をレントゲン撮影して判断する方法があり、レントゲン撮影法としてはグットマン法(側面撮影法)、マルチウス法(入口面撮影法)があるが、これらは、いずれも児頭と骨盤の大きさを比較するための方法であるから、児頭が撮影されていることが前提となる。

(ハ) しかるに、被告は、C・P・Dであるか否かを判断するために、前記2(三)主張のとおり、グットマン法(側面撮影法)でレントゲン撮影したが、右撮影の前にメトロイリンテルを挿入して人為的に児頭を押上げた状態で撮影したため、レントゲン写真には児頭の一部しか撮影されなかった。そもそもレントゲン撮影は、メトロイリンテルを挿入する前に行うべきであり、また、少なくとも右撮影により原告郷子が扁平仙骨であることが明らかになった段階で、メトロイリンテルを抜去し、再度グットマン法若しくはマルチウス法によりレントゲン撮影をし、C・P・Dの存在を発見すべきであったのに、被告は、右の注意義務を怠り、C・P・Dの存在を見落とし、漫然と、C・P・Dの場合には禁忌である陣痛促進の処置を行い、更に吸引分娩を実施したものである。

(2) 経膣分娩か帝王切開による分娩かを選択するにあたって十分な検討を怠った過失

(イ) 被告は、産婦人科医として、まず経膣分娩を試みるか当初から帝王切開による分娩を行うかを決するにあたっては、母体と胎児の状態を十分把握し、単に出産が可能か否かという観点からだけではなく、母子双方の予後の点も含め、経膣分娩の場合と、帝王切開による分娩の場合にそれぞれ予想される分娩の経過及びこれに伴う母子罹患の危険性の有無ないしその大小を十分比較検討し、慎重にこれを決すべき注意義務がある。

(ロ) 前記(一)(1)(イ)主張のとおり、原告郷子の出産については、C・P・Dになる可能性が極めて強かったこと(事後的にC・P・Dであることが確定診断されている)、前記2(五)主張のとおり、原告郷子が帝王切開を希望したことをも考慮に入れれば、被告は、C・P・Dであるとの確定的な診断に至らなかったとしても、当初から帝王切開を選択すべきであったのである。それにもかかわらず、被告は、前記注意義務を怠り、漫然と経膣分娩を試みることに決し、プロスタルモンEやアトニンOを投与して陣痛促進を行い、更に吸引分娩を実施した後に帝王切開に方針転換したのである。

(3) 陣痛促進及び吸引分娩に際し経過観察を怠った過失

(イ) 仮に、本件分娩につきC・P・Dが存在しなかったとしても、本件分娩については前記(一)(1)(イ)主張のとおり、C・P・Dになる可能性が極めて強かったのであるから、被告は、陣痛促進の処置をした後は陣痛促進剤投与により陣痛がどのように促進され、これに伴って児頭と骨盤がどのように変化し、胎児心拍数がどのように変動したかなどについて分娩監視装置を使用して十分に監視すべきであり、また、分娩監視装置を使用しないとしても、胎児心音(心拍数)の変動、陣痛の状態、メトロイリンテルの脱出した時刻、内診所見(子宮口の開大、頸管の展退度、先進部の下降度、児頭の回旋)、母体の全身状態等について、十分に監視すべきであり、右胎児心音等の異常が認められれば、直ちに帝王切開による急速遂娩を実施すべき注意義務がある。

(ロ) ところが、カルテには胎児心音の計測値が五回記載されているのみで、その他陣痛の状態等については全く記載されていないのであって、右事実によれば、被告は、胎児心音の計測を含め、十分な監視をしていないことが推認され、従って、被告は、前記注意義務を怠り、漫然と陣痛促進の処置をし、更に吸引分娩を実施して、帝王切開による急速遂娩を怠ったものである。

(4) 二回目の吸引分娩を行わず直ちに帝王切開を実施すべきなのに、それを怠った過失

(イ) 前記(一)(3)(イ)主張のとおり、被告は、胎児心音等の変動いかんによっては、吸引分娩をやめて直ちに帝王切開による急速遂娩を実施すべき注意義務があるところ、本件分娩において前記2(六)主張のとおり、二回にわたり吸引分娩を試みた。ところで、吸引分娩実施前における胎児心拍数は正常であったが、一回目の吸引分娩を試みたところ、従来一分間あたり一三〇ないし一六〇あった胎児心拍数が極端に弱まり、一分間あたり六〇ないし七〇までに低下し、回復に一分以上の時間を要し、更に次の陣痛発作にあわせて二回目の吸引分娩を試みた際には、更に強い胎児心拍数の低下がみられ、回復までに一分ないし二分を要した。

(ロ) 一般に、胎児心拍数は、分娩第二期に入ると、児頭の圧迫などにより反応性に一過性の低下を来すが、その程度は軽度(一概にいえないが一分間八〇を切ることはあまりない)で、持続時間も三〇秒までであることが多く、右のように二回に亘る吸引後にいずれも胎児心拍数が一分間七〇前後まで減少し、その回復に一分以上を要した場合には、胎児仮死と判断すべきである。そして、胎児仮死があると頭蓋内出血を来しやすくなり脳性麻痺の原因になりうる。そうすると、被告は、一回目の吸引分娩の際の胎児心拍数の減少の程度及び回復に一分以上を要した前記事実から、直ちに吸引分娩を中止し、帝王切開による分娩を実施すべき注意義務があったのである。

(ハ) 更に、扁平仙骨では、骨盤濶部以下が狭く、児頭の回旋が妨げられ、また、定位に異常を来しやすいので、児頭は固定したようにみえても、吸引するときは先進部を牽引し、いたずらに児頭に圧迫を加えるのみで、それ以上の分娩の進行を期待できない場合があるから、二回目の吸引分娩を試みる際には、一回目の吸引分娩前後の児頭の回旋、定位などを含めた骨盤と児頭との相対的な位置関係を的確に把握し、一回目の吸引の結果児頭にどのような変化がみられたか、陣痛の状態は吸引を追加することによって児分娩を期待できるものであるか等の事実を詳細に観察し、一回目の吸引によって児頭の位置の変化が認められない場合には、他に何らかの原因があるものと考えて、吸引分娩を中止し、直ちに帝王切開による分娩を実施すべき注意義務がある。

(ニ) しかるに、被告は、一回目の吸引分娩の際の胎児心拍数の減少及び回復に一分以上を要した事実を認識しているにもかかわらず、右(ロ)の注意義務を怠るとともに右(ハ)の注意義務も怠り、漫然と二回目の吸引分娩を実施したものである。

(5) 分娩後適切な蘇生措置を怠った過失

(イ) 本件分娩においては、〈1〉原告直也は、破水から二七時間、陣痛開始から二四時間以上経過してから吸引分娩の処置を受けたが娩出できず、吸引後約一時間経過してようやく娩出されたもので、著しい遷延分娩であること、〈2〉前記(4)(イ)記載のとおり、本件吸引分娩の際、胎児心拍数の減少及び一分以上の胎児心拍数の回復の遅れがあったこと、〈3〉臍帯巻絡があったこと等複数の原因により、原告直也は胎児仮死の状態で娩出され、これに引続いて新生児仮死の状態になった。

(ロ) 新生児仮死の場合には、産婦人科医師としては次のとおりの蘇生法を順を追って行うべき注意義務がある。すなわち、〈1〉臍帯の切断。〈2〉頭蓋内出血の疑いがない限り、頭を低くして気道内の分泌物が流出しやすいようにする。〈3〉新生児は体温がなるべく下降しないように暖かく布で包む。〈4〉気道の確保-吸引カテーテルを使用して口腔、咽喉、ついで鼻腔の内容を吸出する。なお、重傷仮死で、更に次の〈5〉以下の処置を必要とするものについては、以後の処置中に何回も右の吸引を繰返す必要がある。〈5〉皮膚の刺激-気道の清掃によっても自発呼吸が起こらないときには、背部の皮膚を軽く上下になでたり、足蹠を指ではじく運動などを行う。なお、冷水をかけたり、児体を強く振ったりしない。〈6〉酸素投与-新生児の顔を少し横に向け、マスクを用いて酸素をフラッシュ、すなわち、一方向に多量に流れる方式で投与する。〈7〉蘇生器の使用-〈5〉までの処置で自発的呼吸が始まらない場合、エア・ウェイを挿入して、蘇生器を使用する。〈8〉気管内挿管-咽頭鏡、気管チューブを使用して行う。新生児にとって、〈8〉は気道を確保する唯一の手段であり、気管内挿管の上で行われる人工換気法のみが効果のある蘇生手段としての意義をもっているので、気管内挿管なくして新生児仮死蘇生術は考えられない。

(ハ) しかるに、被告は、右のとおり、重傷仮死児において必須とされている〈8〉の咽喉鏡による気管内挿管を施して気道を確保すべき注意義務を怠り、その結果、娩出からアプガールスコアが八点となるまでに五分、保育器内に収容するまで一〇から一五分も経過させて原告直也の蘇生を遅延させたものである。

(6) 新生児痙攣に対する早期、適切な処置を怠った過失

(イ) 一般的に、新生児痙攣の原因疾患としては、周生期低酸素性脳障害や頭蓋内出血、代謝疾患(低血糖症、低カルシウム血症、低マグネシウム血症、低ナトリウム血症、アミノ酸代謝異常など)、髄膜炎、敗血症、中枢神経系の奇形などがあるが、このうち、代謝疾患、髄膜炎、敗血症及び中枢神経系の奇形は、原告直也に全く認められず、従って、原告直也の新生児痙攣の原因は、周生期低酸素性脳障害、それによる頭蓋内出血であることが明らかである。

(ロ) 新生児痙攣は、それ自体が発達過程にある脳に対して障害を与える可能性があり、救急疾患として扱うべきで、早期発見、早期治療が大切であり、また、痙攣そのものの治療と同時に原因疾患の治療も速やかに行うべきであるところ、産婦人科医としては、具体的には、児を保育器に収容し保温、酸素投与、気道確保、点滴路確保を行い、呼吸障害があれば人工換気を行い、原因疾患別に適切な薬物療法を行うべき注意義務がある。

(ハ) しかるに、被告は、気道の確保、酸素投与等の治療をすることなく右注意義務を怠り、その結果、新生児痙攣の結果としての低酸素血症により大脳皮質の層状壊死がおこり、脳性麻痺を起こしたものである。

(二) 債務不履行責任

(1) 原告勝則及び原告郷子は、昭和五三年八月一六日、被告との間で、原告郷子の出産の完成並びに新生児に対する診療を目的とする診療契約を締結した。

(2) 被告並びに被告の履行補助者である田中医師及び雨宮医師は、右契約に従い、現代医学の水準に則した知識、技術を駆使して、原告郷子の出産及び出生後の新生児について、適切な分娩介助、診療を行う債務を負っており、右債務の履行に際しては、前記(一)各主張の注意義務を負っているのに、同所主張のとおり右各注意義務を怠り、その結果、原告直也に前記2(一〇)主張のとおり本件脳性麻痺の障害を負わせたものである。

4  原告らの損害

(一) 逸失利益 三六五六万七五八七円

(1) 就労可能年数

原告直也は、昭和五四年二月一六日出生の男児であり、満一八歳から満六七歳まで四九年間は就労可能である。

(2) 収入

昭和五五年度の賃金センサスによれば、男子全年齢平均の賃金は三七九万五二〇〇円であり(246,100円×2月+842,000円)、これにペースアップ分として五パーセントを加算すると、収入金額は、三九八万四九六〇円となる(3,795,200円×1.05=3,984,960円)。

(3) 労働能力の喪失

原告直也は、本件脳性麻痺による体幹機能障害により身体障害者二級の認定を受けており、労働能力は一〇〇パーセント喪失している。

(4) ライプニッツ係数 九・一七六四(67歳-4歳 =63 19.0750、18歳-4歳=14 9.8986、19.0750-9.8986=9.1764)

(5) 以上により、原告直也が失った将来得べかりし利益を計算すると、三六五六万七五八七円となる(3,984,960円×9.1764=36,567,587円)。

(二) 積極損害 一六七万四二二〇円

原告勝則は、原告直也の障害のリハビリテーション等のため以下の金員を支出している。

(1) 交通費 九八万八四四〇円

(2) 雑費 四万五〇〇〇円

(3) 付添費 三〇万〇〇〇〇円

(4) リハビリ用机 一万〇〇〇〇円

(5) リハビリ用三輪車 一九八〇円

(6) バギー 一万九八〇〇円

(7) 整体費用 六万三〇〇〇円

(8) リハビリ保育園料 二四万六〇〇〇円

(三) 慰藉料 三〇〇〇万円

(1) 原告直也の慰藉料 二〇〇〇万円

原告直也は、一生身体障害者として生きなければならず、人間としての生活に重大な困難を余儀なくされてしまったもので、これらを克服するには大変な努力を要し、中には克服しきれないものも多々あり、これらの苦痛を慰藉するには少なくとも二〇〇〇万円は必要である。

(2) 原告勝則、同郷子の慰藉料 各五〇〇万円

原告勝則、同郷子は、原告直也の困難な生活を援助しながら一生暮らさなければならず、また、自分達がいなくなれば、一体誰が原告直也を援助するのかと将来を案ずる毎日である。右両名の苦痛は余りにも大きく、右苦痛を慰藉するには少なくとも、各五〇〇万円は必要である。

(四) 弁護士費用 六八二万四一八一円

原告らは、本件訴訟の追行を弁護士に依頼し、委任に際して弁護士費用として請求金額の一割を支払う旨約した。従って、原告直也について五六五万六七五九円、原告勝則について六六万七四二二円、原告郷子について五〇万円の合計六八二万四一八一円となる。

5  なお、被告の主張(二2)中、原告らの右主張に反する部分は争う。

6  よって、被告は、原告直也に対し、不法行為に基づき六二二二万四三四六円を、原告勝則に対し、不法行為若しくは債務不履行に基づき七三四万一六四二円、原告郷子に対し、不法行為若しくは債務不履行に基づき五五〇万円及びこれらに対する訴状送達の日の翌日である昭和五九年一月一七日から年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二1  請求原因に対する認否

(一)(1) 請求原因1(一)の事実のうち、原告直也の生年月日、同原告が男児であることは認め、その余は不知。

(2)請求原因1(2)の事実は認める。

(二)(1) 請求原因2冒頭の事実のうち、原告郷子が被告方で原告直也を原告ら主張の日時に分娩したこと、同原告が軽度の新生児仮死の状態にあったことは認め、同原告が新生児仮死の結果脳性麻痺になったことは否認し、その余は不知。

(2) 請求原因2(一)(三)の各事実は認め、同(二)の事実のうち、原告郷子が昭和五四年二月一五日午後二時五七分ころ自然破水し、同日午後五時ころ被告方に入院したことは認め、その余は不知。

(3) 請求原因2(四)の事実のうち、原告郷子が分娩室に入りアトニン0を五単位点滴静脈注射されたことは認め、その余は否認する。

(4) 請求原因2(五)の事実は否認する。

(5) 請求原因2(六)の事実のうち、原告ら主張のころ、被告らが吸引カップを使用して吸引分娩を二回試みたが、娩出しなかったことは認め、その余は否認する。

(6) 請求原因2(七)の事実は認める。

(7) 請求原因2(八)の事実のうち、出生時の原告直也の状態が、胎児切迫仮死による新生児仮死の状態であったことは否認し、同原告の身長、胸囲は争わない、その余は認める。なお、原告直也は軽度の新生児仮死であった。

(8) 請求原因2(九)の事実のうち、原告ら主張のころ被告が原告直也を川崎市立病院に転院させたことは認め、その余は否認する。

(9) 請求原因2(一〇)及び(一一)の事実はいずれも不知。

(三)(1) 請求原因3(一)(1)(イ)の事実のうち、C・P・Dについて、おおむね原告ら主張の定義がされていること、原告郷子の骨産道が、扁平仙骨であること、扁平仙骨の場合、濶部で骨盤の強い抵抗に遭遇し、回旋・下降が妨げられて分娩が停止する可能性があること、原告直也の出生時の体重、頭囲が原告ら主張のとおりであったこと、カルテにC・P・Dの記載があることは認め、その余は否認する。なお、C・P・Dの定義は、書によって様々であって、必ずしも一定していない。また、扁平仙骨の場合、濶部で骨盤の強い抵抗に遭遇し、回旋・下降が妨げられて分娩が停止する可能性があるという考え方の基準にされているのは、体重三キログラムの児であって、本件の原告直也が出生児の体重が二六二〇グラムであることに照らせば、本件に右の一般論は当てはまらない。カルテにC・P・Dと記載されているのは、C・P・Dを起こすおそれがあるとの診断を記載しているものであって、本件においては結果的にC・P・Dにはなっていない。

(2) 請求原因3(一)(1)(ロ)の事実のうち、レントゲン撮影の方法としてグットマン法及びマルチウス法があることは認め、その余は否認する。

(3) 請求原因3(一)(1)(ハ)の事実のうち、被告が原告郷子につきグットマン法によるレントゲン撮影を行ったこと、右撮影の前にメトロイリンテルを挿入していたことは認め、その余は否認する(なお、後記2(一)の主張参照)。

(4) 請求原因3(一)(2)(イ)及び(ロ)の事実は否認する。

(5) 請求原因3(一)(3)(イ)の事実のうち、一般論として、分娩監視が重要であること、帝王切開による急速遂娩が必要となる場合があることは認めるが、その余は否認する。

(6) 請求原因3(一)(3)(ロ)の事実のうち、カルテに一部記載不十分な点のあることは認めるが、その余は否認する(なお、後記2(二)の主張参照)。

(7) 請求原因3(一)(4)(イ)の事実は認め、(ロ)の事実は否認し、(ハ)の事実のうち、扁平仙骨の場合、児頭の回旋が妨げられることは認め、その余は否認し、(二)の事実は否認する(なお、後記2(三)(四)の主張参照)。

(8) 請求原因3(一)(5)(イ)の事実のうち、原告直也の分娩が「著しい」遷延分娩であること、同原告が原告ら主張の複数の原因により、胎児仮死・新生児仮死になったことは否認し、その余は認める(なお、後記2(五)の主張参照)。

(9) 請求原因3(一)(5)(ロ)の事実のうち、新生児仮死の治療について、原告らが主張するようなことが通常いわれていることは認め、その余は否認する。なお、被告は、本件でも、原告ら主張の〈7〉、〈8〉を除き、他の処置は行っているものである。右〈7〉、〈8〉についてはその必要を認めなかったのである。

(10) 請求原因3(一)(5)(ハ)の事実のうち、原告直也の娩出からアプガールスコアが八点となるまでに五分を要したことは認め、その余は争う(なお、後記2(六)参照)。

(11) 請求原因3(一)(6)(イ)(ロ)及び(ハ)の事実は、いずれも否認ないし争う。

(12) 請求原因3(二)(1)の事実は否認する。昭和五三年八月一六日は、初診日であって、妊娠についてその診察を行ったにすぎない。また、産婦人科医は、出産の完成までを請負うものではない。

(13) 請求原因3(二)(2)の事実のうち、被告並びに被告の履行補助者である田中医師及び雨宮医師が、現代医学の水準に則した知識、技術を駆使して、原告郷子の出産及び出生後の新生児について、適切な分娩介助、診療を行う債務を負っていることは争わない。被告が請求原因3(一)各主張の注意義務を負い、右各注意義務を怠り、その結果原告直也に障害を負わせたことについては、それぞれ請求原因3(一)の注意義務に対する認否のとおりである。

(四)(1) 請求原因4(一)のうち、事実関係は不知。その余は争う。

(2) 請求原因4(二)(三)の事実はいずれも否認する。

2  被告の主張

(一) レントゲン撮影方法について

グットマン法による撮影の目的は、主に産科真結合線の計測と仙骨の彎曲度(最小前後径)を知ることであって、児頭も写して骨盤の大きさと比較して児頭と骨盤が結合するかどうかを判断することは直接その目的とされていない。児頭の大きさは、臨床の場においては、内外診によって、ほぼ正確に判断されており、グットマン法により産科真結合線の長さが分かれば、内外診で児頭の大きさが分かるので十分その目的を達するものである。従って、児頭を十分に写すには、原告らが主張するようにメトロイリーゼの前かメトロイリンテルがとれた後で撮影するのが良いとはいえるものの、そうすることが必要的であるとまではいえない。そして、原告らが主張するように撮影しても、児頭の大横径が判定できるわけではないから、それだけで児頭と骨盤が適合するかどうかを判断する根拠にはならない。なお、マルチウス法については、胎児に対する放射線の被曝量の問題があるので臨床では頭位の場合ほとんど行われていない。

(二) 分娩監視について

分娩監視の重要性は本件分娩に限らず産婦人科医の常に心するところであり、被告は、本件分娩当時においても、診療録に記載した時点以外にも胎児心拍数を聞いている。また、原告らは、診療録等に(胎児心拍数の)記載がなく、その点についての合理的な説明がない以上、診療録等に記載された以外には胎児心拍数を聞いていないと推認すべきであると主張するが、右のような推認は、経験則に反するものである。なお、本件分娩がされた昭和五四年当時には、被告のような一般開業医に分娩監視装置が普及しているという状況になく、従って、当時分娩監視装置を用いて連続的な監視をする医療水準に至っていなかったのであるから、本件分娩において、分娩監視装置が使用されていなかったことはなんら非難されるべきことではない。

(三) 吸引分娩を選択したことについて

(1) 本件分娩において、被告は、原告郷子が扁平仙骨であって、産道の前後径のうち、骨盤濶部で骨盤の強い抵抗に遭遇し、回旋・下降が妨げられて分娩が停止する可能性が強いことを当然に吟味したうえで、原告郷子の妊娠経過に異常がないこと、原告郷子が当時二三歳で、これからも何回か出産をすることが予想され、一度帝王切開をすると二度目以降も帝王切開によらなければならない場合が多いこと、その他帝王切開には様々な弊害があること等から出来うる限り経膣分娩が良いと考え、子宮口が全開しており、児頭も排臨近くまで下降して、産瘤もそれほどできていないことから、経膣分娩が可能だと被告ら医師三人が判断し、更に破水後二四時間以上経過し、分娩第二期遷延で回旋異常も認められたことから吸引分娩が必要と判断し、吸引分娩を試みたものである。

(2) 本件分娩については、C・P・Dであるとの確定的な診断がされていたわけではない。すなわち、C・P・Dとは、頭位分娩において、児頭と骨盤の間に不適合が存在し、それによって児頭が骨盤入口部に固定しないため分娩が遷延し、進行しない状態をいうのであるが、本件分娩では、前記(1)主張のとおり子宮口が全開しており、児頭も排臨近くまで下降して、産瘤もそれほどできていなかったことから、三人の医師が経膣分娩が可能と判断して吸引カップによる試験分娩を行ったのであるが、臍帯巻絡があったため、娩出できなかったのであり、結果的にはC・P・Dにはなっていない。なお、臍帯巻絡については、現在の医療水準では、出産前に確実な判断をすることはできない。

(3) 二回目の吸引分娩と胎児仮死・脳性麻痺との因果関係

原告は、本件分娩において、一回目の吸引分娩で、胎児の心音低下がみられたから、二回目の吸引分娩を試みず、直ちに帝王切開による娩出をすべき注意義務があると主張するが、仮に一回目の吸引分娩にとどめ、直ちに帝王切開による娩出に切換える措置をとっていたとしても、頭蓋内出血をもたらすほどの胎児切迫仮死に至る事態が十分に避けられたはずであると直ちにいえるわけではなく、ましてや脳性麻痺の結果を避けることが十分に可能であったなどとは判断できない。

(四) 帝王切開手術の迅速性

被告は、吸引分娩を試みる段階で、帝王切開をいつでも実施できるように準備していたものである。それ故、本件分娩において、被告は、吸引分娩から帝王切開による娩出に方法を変えてからわずか三〇分ほどで、種々の手順(患者・家族への説明と承諾・手術部位の剃毛、麻酔、術野消毒)を行って、胎児を娩出させたものであって、帝王切開がいつでもできるような体制であったことは明らかである。

(五) 原告直也の出生当時の状態

原告直也は、出生当時軽度の新生児仮死であった。出生当時の原告直也のアプガールスコアはやや減点(10点満点として正常出産といえる範囲、即ち七点から一〇点の間であった)で、出生後一分時のアプガールスコアは五点であり、出生後五分時のアプガールスコアは八点に回復した。

(六) 蘇生措置について

娩出時の原告直也の状態は、決して重症の新生児仮死ではなかったものである。また、新生児仮死に対して要求される蘇生処置は、新生児仮死の程度によって異なってくるのであって、本件において、被告が原告直也に対し、蘇生器に入れたり、気管内挿管の処置をしなかったのは、それ以外の処置により原告直也に自発呼吸が始まり、また、換気障害も起こしていなかったことからその必要性を認めなかったからである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1(一)の事実のうち、原告直也が昭和五四年二月一六日に出生した男児であることは、当事者間に争いがなく、原告郷子本人尋問の結果によれば、原告直也は、原告勝則及び同郷子の長男として出生したことを認めることができる。

請求原因1(二)の事実は当事者間に争いがない。

二  原告直也の出産に至る経緯及び障害の発生について

1  請求原因2の各事実のうち、次の事実は当事者間に争いがない。すなわち、(一)原告郷子が原告直也を妊娠後、被告方に、昭和五三年八月一六日を初診として数回にわたり通院したこと、(二)原告郷子が、同五四年二月一五日午後二時五七分ころ自然破水し、同日午後五時ころ被告方に入院したこと、(三)同月一六日午前九時一五分、被告は原告郷子を診察し、メトロイリーゼを行い、更にプロスタルモンEを一時間ごとに六回合計六錠投与し、その間、同原告の骨盤をレントゲン撮影(グットマン法-側面撮影法)したこと、(四)原告郷子が、同日午前一一時三〇分ころに分娩室に入り被告がアトニン0を五単位点滴静脈注射を受けたこと、(五)同日午後五時過ぎころ被告らは、吸引カップを使って吸引分娩を試みることにし、二度にわたり吸引カップを使用して吸引分娩を試みたが、結局分娩できなかったこと、その後被告らは帝王切開による分娩に方針を切替え、午後五時五八分に加刀し、同日午後六時三分に原告直也が娩出したこと、(六)出生時の原告直也は、新生児仮死の状態(その程度は別)で、身長四八・五センチメートル、体重二六二〇グラム、頭囲三一・〇センチメートル、胸囲三〇・五センチメートルであり、被告は、同原告に対し、気管カテーテルによる吸引をし、酸素を与え、背中をこすったり足をたたいたりした後、同原告を保育器に入れて酸素を補給したこと、(七)同月一七日午前九時過ぎころ、原告直也が川崎市立病院に転院したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

2  右の事実に加え、〈証拠〉によれば、次の事実が認められ(前記1の事実も一部含む)、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告郷子は、昭和五三年八月一六日、被告方において診察を受けて、妊娠一四週であると診断され、その後、同原告は、少なくとも同月二二日、二三日、二四日、二五日、二六日、同年一一月一日、同五四年一月九日、同月一一日、同月一二日、同月一六日、同月一七日、同一九日、同月二二日、同月二三日、同月二四日、同月二五日、同月二七日、同年二月三日及び同月一〇日に診察及び治療を受けたが、妊娠の経過には特に異常はなく、主に悪阻、貧血に対する治療がされた。

(二)  被告は、昭和三五年に被告肩書地に鈴木産婦人科を開業したもので、昭和五四年当時、ベッド数は一九床、医師は、常勤が二名、非常勤が八名、助産婦二名、看護婦一二名の規模であった。なお、昭和五四年一月一六日の本件分娩の際には、被告の他、当時副院長の田中医師、非常勤の雨宮医師が分娩介助にあたった。

(三)  原告郷子は、昭和五四年二月一五日午後二時五七分ころ自然破水があり、更に同日四時ころ、血の混じったおりものがあったことから、被告の指示で同日午後五時ころ、被告方に入院したが、その際の所見は、子宮口開大度が二センチメートル、子宮頸管硬度が中、頸管展退度が三〇パーセント、児頭固定の程度はやや固定であり、早期破水ではあるが特に異常はなく、出産までに相当時間を要する見込みであった。

(四)  翌二月一六日午前九時一五分、被告は原告郷子を診察し、入院時と状態にほとんど変化がなく、陣痛が不規則であることから、陣痛の誘導が必要であると判断して、同日午前九時四〇分から、メトロイリーゼ(メトロイリンテルというゴム風船のような機械に滅菌水を二〇〇ミリリットル入れ、子宮腔内に入れること)を行い、同時に陣痛誘発及び陣痛促進の効果をもつ薬剤であるプロスタルモンEを、一時間ごとに六回合計六錠を内服投与した。また、その際、頸管を熟化させる効果をもつ薬剤であるエストリールとレリーズVをいずれも一時間ごとに四回注射した。被告は、右の投与開始に際し児心音が正常であることを確認した。

(五)  同日午前九時四〇分から同日午前一一時三〇分までの間に、被告は、原告郷子の骨盤をグットマン法によりレントゲン撮影し、その結果、同原告の骨盤が扁平仙骨であることが判明した。しかし、被告は、原告郷子の骨盤が扁平仙骨ではあるが、経膣分娩が一応可能であろうと判断をして、経膣分娩を試みる方針を立てた。

(六)  同日午前一一時三〇分ころ、原告郷子は、分娩室に入り、被告は、同原告に陣痛微弱の際に陣痛を促進する効果をもつ薬剤であるアトニン0を五単位分五パーセントのブドウ糖液五〇〇ミリリットルに入れて点滴静脈注射した。

(七)  同日における胎児心拍数(児心音)の測定結果について、診療録に数値が記載されているのは、同日午前一一時三〇分、午前一一時五〇分、午後三時五〇分、午後四時三〇分、午後五時の五回であり、その値は増加傾向にあるが、いずれも正常の範囲内である。なお、被告方には、当時分娩監視装置は備付けられていなかった。

(八)  同日午後五時ころ、被告、副院長の田中医師及び非常勤の雨宮医師(被告ら)は、分娩室において、原告郷子の状態が、子宮口開大度が一〇センチメートルで全開大になっていること、頸管展退度が一〇〇パーセントになっていること、メトロイリンテルがとれ児頭が固定し、最終的には骨盤濶部と骨盤峡部の中間位の位置まで下降していること、そして破水二四時間以上経過し、分娩が遷延していることから、急速遂娩が必要であるとの結論に達し、同日午後五時一五分ころ、吸引カップによる吸引分娩を試みることにし、二回にわたり吸引を試みたが、結局娩出することはできなかった。その際、被告らはドップラーにより児心音を継続して聴取していたが、胎児心拍数は、一回目の吸引の際には、一分間一三〇ないし一六〇ほどあったものが一分間七〇ぐらいまでに落ち、元に回復するのに一分間くらいを要し、二回目の吸引の際には、同じく心拍数が一分間六〇ないし七〇に低下し、元に回復するのに一分ないし二分間を要した(但し、診療録には右の心拍数に関する記載はない)。

(九)  被告らは、二回目の吸引分娩の試みが終わった同日午後五時二五分ないし五時三〇分ころ、右のように心音の低下が激しいことから胎児への臍帯巻絡を疑い、吸引分娩を試みることをやめ、帝王切開手術による娩出に切換えることにし、患者・家族の承諾を得、麻酔、剃毛等の準備をした上、同日午後五時五八分雨宮医師が加刀し、同日午後六時三分原告直也を娩出し、続いて午後六時五分胎盤が娩出した。右帝王切開手術の際、子宮内に羊水はなく、原告直也の頸部には臍帯が三回巻付いていた。

(一〇)  雨宮医師は、術後診断として、診療録に、C・P・D、陣痛微弱、臍帯巻絡、後方後頭位と記載した。

(一一)  娩出時の原告直也は、身長四八・五センチメートル、体重二六二〇グラム、頭囲三一センチメートル、胸囲三〇・五センチメートルであった。しかし原告直也には呼吸がなかったので、被告らは、同原告の顔に酸素を吹きかけながら、顔をガーゼでふき、気管カテーテルで、鼻、口の羊水、血液等を吸出し、呼吸を刺激するため足の裏をたたくなどし、自発呼吸が始まったので、娩出後一五分ほどで同原告を保育器に入れ、酸素を補給した。

(一二)  翌日である昭和五四年二月一七日午前九時過ぎころ、原告直也は状態が良くないことから、川崎市立川崎病院に転院し、同病院で頭蓋内出血との診断を受けた。

(一三)  原告直也は、生後六か月ころ、検査の結果、目と足に運動障害があると診断され、九か月ころから、東京都板橋区所在の心身障害児総合医療療育センターにおいてボイター法というリハビリテーションの訓練を受け、一一か月ころ帝京大学病院において、両眼斜視との診断を受け、一歳七か月時及び五歳七か月時の二回にわたり手術を受けた。そして、原告直也は、昭和五六年六月一九日、前記療育センターの医師により脳性麻痺との診断を受け、同年九月一四日千葉県から脳性麻痺による体幹機能障害による身体障害者二級と認定された。

(一四)  原告直也は、四歳三か月時に一人で立つことができるようになったものの、歩くことを含め日常の動作はかなり不自由であり、一応話すことはできるが、字を書くことはできない。

三  不法行為責任の有無について

そこで、被告に請求原因3(一)(1)ないし(6)の各過失が存在するか否かにつき検討する。

1  C・P・D(児頭骨盤不適合)の存在を発見できず、当初から帝王切開の方法を選択しなかった過失について

(一)  右過失に関しては、まずC・P・Dの意味が問題となるところ、〈証拠〉、鑑定人麻生武志の鑑定結果(以下鑑定という)によれば、C・P・Dの定義については必らずしも細部において見解に差異がない訳ではないけれども、要するにこれを「児頭と骨盤の不均衡により経膣分娩が不可能である場合」と解することができる。

(二)(1) 請求原因3(一)(1)(イ)の事実のうち、原告郷子の骨産道が扁平仙骨であり、扁平仙骨の場合、濶部で骨盤の強い抵抗に遭遇し、回旋・下降が妨げられて分娩が停止する可能性があること、診療録にC・P・Dの記載があること、同(ロ)の事実のうち、レントゲン撮影法として、グットマン法及びマルチウス法があることはそれぞれ当事者間に争いがない。

(2) 〈証拠〉によれば、次の事実が認められ(一部前記(1)の事実を含む)、被告本人の供述中この認定に反する部分は右各証拠に照らし信用できない。

(イ) 被告は前記二2(四)(五)認定のとおり、本件分娩当日である昭和五四年二月一六日午前九時四〇分から同日午前一一時三〇分までの間に、原告郷子の骨盤をグットマン法によりレントゲン撮影をしたものであるところ、撮影前にメトロイリンテルを挿入していたため、右レントゲン写真(以下本件レントゲン写真という)には、児頭が骨盤入口前よりはるか上方に、しかもその一部しか撮影されていない。

(ロ) 本件レントゲン写真には、原告郷子の第四腰椎以下の骨盤が比較的鮮明に写っており、骨盤軸に沿って、諸前後径の計測ができ、また、仙骨前面の形、骨盤開角などについても判定が可能であり、その結果、同原告には、骨盤の形態異常、即ち扁平仙骨及び中部産道狭小骨盤が認められ、産道の前後径のうちで、骨盤濶部が入口部より短くなっているために、児頭が骨盤入口に進入しても濶部で骨盤の強い抵抗に遭遇し、回旋・下降が妨げられて分娩が停止する可能性が強かった。

(3) 〈証拠〉によれば、被告は、原告郷子につき、C・P・Dの有無を検討し、C・P・Dでないと判断した上で、あるいはC・P・Dになる疑いをもちながら最終的にC・P・Dになるかどうかを検討するために試験分娩として、陣痛促進の処置をとるべきであるところ(プロスタルモンE及びアトニン0は、C・P・Dの場合には禁忌であったり、原則として投与しないとされているが、鑑定の結果によれば、当初から帝王切開をせず試験分娩を試みてもよい場合には、まだC・P・Dであるか否かが確診されていない場合であるから、これを投与しても差支えないことが認められる。)、被告は、前記二2(五)、三1(二)(2)認定のとおり、グットマン法によるレントゲン撮影の結果から一応経膣分娩が可能であろうと判断をし、陣痛促進の処置をとったものである。ところで、前示のように、C・P・Dは、児頭と骨盤の不均衡より生ずるものであるから、児頭と骨盤のそれぞれの形状・大きさが判明しなければ、C・P・Dの有無を判断することができないが、前記1(二)(2)認定のとおり本件レントゲン写真には、児頭の一部しか写っておらず児頭の大きさが判断できないのであるから、本件レントゲン写真は、C・P・Dの有無の判断のための撮影方法としては不適当であり、従って、被告は、メトロイリンテルを抜去したうえで、もう一度グットマン法によりレントゲン撮影をするかマルチウス法(入口面撮影法)によるレントゲン撮影を試み、あるいは超音波により児頭の大きさを計測すべきであったということができる。

(三)(1) しかし、鑑定結果によれば、本件レントゲン写真から認めることができる原告郷子の骨盤の各前後径の数値は、骨盤開角が七五度で標準的正常骨盤値の八〇ないし一〇〇度よりは鋭角になっているものの、産科真結合線、濶前後径、峡前後径については、いずれも正常範囲にあるから、原告郷子の骨盤の形状からは、試験分娩を試みることなく直ちに帝王切開をすることが要求される骨盤であると認めることは困難である。また、前記二1(六)認定のとおり、出生時の原告直也の身長は四八・五センチメートル、体重は二六二〇グラム、頭囲は三一・〇センチメートルであったことは当事者間に争いがなく、成立につき争いのない乙第五号証によれば、同原告の右身長、体重、頭囲の値は、通常の新生児の大きさの範囲内であることが認められる。そして、被告本人は、その本人尋問において、再度メトロイリンテルを抜去したうえでグットマン法によりレントゲン撮影をしたとしても、児頭と骨盤に不均衡が存するかを判断するうえで必要な児頭の大横径が必ず測定できるものとはいえない旨供述するところ、これを否定するに足りる証拠はない。また、前記(二)(2)(ロ)認定のとおり、原告郷子の骨盤については、扁平仙骨、中部産道狭小骨盤であることから、産道の前後径のうちで、骨盤濶部が入口部より短くなっているために、児頭が骨盤入口に進入しても濶部で骨盤の強い抵抗に遭遇し、回旋・下降が妨げられて分娩が停止する可能性が強いと予想されたが、前記二2(六)認定のとおり被告が陣痛促進を試みた結果、吸引分娩を試みる前の段階において、胎児は、児頭が固定し、骨盤濶部と骨盤峡部の中間位の位置まで下降し、児頭が濶部を通過していたことがうかがわれる。

右の諸事実を考え合わせると、本件においては、陣痛誘発及び陣痛促進を試みた際に、レントゲン写真を再度取直し、あるいは他の方法により児頭の大きさを測定しても、結局、当初から帝王切開をすべきであるという判断に至ったとまで認めることは困難であって、試験分娩により経膣分娩が可能かどうか試みるのが相当であるという判断に至ったものとうかがうことができ、また、吸引分娩を試みた際の胎児の前記位置などを考えると、結局本件全証拠によっても、未だ原告郷子がC・P・Dであったことを認めるに足りないというほかない。

(2) なお、前記二2(一〇)認定のとおり、雨宮医師は、診療録に術後診断として、陣痛微弱、臍帯巻絡、後方後頭位の記載とともにC・P・Dと記載しているが、前記(一)の事実及び同所掲記証拠によれば、C・P・Dの定義には細部につき差異がない訳ではないうえ、実地面ではこの症状名がややルーズに使用されていること、及び前記認定のとおり、原告郷子の骨盤の形状からは経膣分娩の困難さは予想されるものの、経膣分娩が客観的に不可能であったとまでは認めることが困難であったことに照らすと、雨宮医師が経膣分娩が不可能であったという意味で「C・P・D」と記載したものと認定することも困難であるというほかない。また、本件分娩においては、前記二2(九)認定のとおり、結局、帝王切開手術により原告直也が娩出された際、臍帯巻絡があったものであるところ、被告本人尋問の結果によれば、臍帯巻絡があれば、吸引分娩により胎児を娩出できない場合のあることが認められるのであるから、結果的に吸引分娩によって原告直也を娩出できなかった事実のみから、本件分娩においてC・P・Dがあったと認定することも困難である。更に、原告郷子は、その本人尋問において、分娩当日の午前一一時ころから吸引分娩を試みる大分前ころに、被告病院の分娩室において、被告方の医師同士で一センチくらい大きいがどうするかと話していた旨を、証人望月葉子も、分娩終了後、原告郷子から、分娩前に医師同士が子宮口より赤ちゃんの頭の方が一センチ五ミリくらい大きいと話しをしていたと聞いた旨をそれぞれ供述しているが、以上に掲記の各証拠に照らしいずれも採用することが困難である。

(四)  そうすると結局、本件全証拠によっても、被告には、C・P・Dの存在を発見できず、当初から帝王切開の方法を選択しなかったことについて注意義務違反があったと認めることは困難であるというほかない。

2  経膣分娩か帝王切開による分娩かを選択するにあたって十分な検討を怠った過失について

(一)  請求原因3(一)(2)(イ)の事実、すなわち、被告は、産婦人科医として、まず経膣分娩を試みるか当初から帝王切開による分娩を行うかを決するにあたっては、母体と胎児の状態を十分把握し、単に出産が可能か否かという観点からだけではなく、母子双方の予後の点も含め、経膣分娩の場合と帝王切開による分娩の場合にそれぞれ予想される分娩の経過及びこれに伴う母子罹患の危険性の有無ないしその大小を十分比較検討し、慎重にこれを決すべき注意義務があることは、弁論の全趣旨により一般論としてこれを肯認することができる。

(二)  そこで、本件分娩において、被告が右注意義務を怠ったか否かについて検討するに、前記1(二)(2)及び(3)において説示したとおり、原告郷子の骨盤の形状から、児頭が骨盤入口に進入しても濶部で骨盤の強い抵抗に遭遇し、回旋・下降が妨げられて分娩が停止する可能性が強いと認められること、被告は、C・P・Dの存否を判断するため、メトロイリンテルを抜去した後に、再度グットマン法によりレントゲン撮影をするなどして、児頭の大きさについて計測をすべきであったことが認められるが、右各事実のみからでは、ただちに被告が右注意義務を怠り、十分な比較検討をせずに、安易に経膣分娩を可能と考え、経膣分娩を試みたことを認定することはできず、その他被告が右注意義務を怠ったことを認めるに足りる事実はない。むしろ、前記二2(五)認定のとおり、被告は、原告郷子の骨盤をグットマン法でレントゲン撮影をし、その骨盤が扁平仙骨ではあるが、一応経膣分娩が可能であろうと判断をして、経膣分娩を試みることとし分娩促進剤を投与したこと、被告本人尋問の結果によれば、本件においては、原告郷子が分娩当時二三歳で、今後も子供を出産することが予想され、一度帝王切開をすると、次回以降の分娩も帝王切開せざるをえなくなり、また、帝王切開自体にも母体に対する危険性もあることから、可能な限りは経膣分娩がよいと考え、吸引分娩を試みたというのであり、前記二2(ハ)認定のとおり、その際の原告郷子の状態は、子宮口開大度が一〇センチメートルで全開大、頸管展退度も一〇〇パーセントになり、メトロイリンテルがとれ児頭が固定し、最終的には骨盤濶部と骨盤峡部の中間位の位置まで下降していたこと、前記三1(三)(四)において説示したとおり、本件分娩においてまず吸引分娩を試みたことにつき、C・P・Dの存在を見落としたと認めることは困難であること等の事実によれば、被告が、経膣分娩か帝王切開かを選択するにあたり、その利害得失を十分検討せずに経膣分娩を試みることを選択したものと認めることは困難であるというほかない。従って、本件全証拠によっても、被告に右注意義務違反を認めるに足りない。

なお、原告郷子の本人尋問の結果によれば、同原告は、本件分娩時、医師あるいは看護婦に対し、痛いので早く帝王切開をして欲しい旨申向けたことが認められるが、原告郷子の右のような希望があったとしても、被告は、医師として、経膣分娩か帝王切開を選択するにつき、種種の要素を考慮のうえこれを決する裁量権を有するものと考えられ、前記認定の事情によれば、被告が経膣分娩を試みたことにつき、右裁量の範囲を逸脱したと認めることもできない。

3  陣痛促進及び吸引分娩を行った際、その経過観察を怠った過失について

(一)  〈証拠〉によれば、プロスタルモンE及びアトニン0の投与にあたっては、いずれも子宮収縮の状態及び胎児心音の観察を十分にする必要があり、特に本件分娩のようにC・P・Dか否かを判断するための試験分娩としての分娩促進をする場合には、陣痛の促進の状況、児頭と骨盤の状況の変化、胎児心拍数の変化を詳細かつ経時的に監視する必要があることが認められる。そして、被告は、前記二2(七)(八)各認定のとおり、本件当時は分娩監視装置を設置しておらず、ドップラーにより胎児の心音を測定しており、診療録に記載されている測定結果は、分娩当日の午前一一時三〇分、午前一一時五〇分、午後三時五〇分、午後四時三〇分、午後五時の五回であり、その値は増加している傾向にあるが、いずれも正常の範囲内である。

(二)  ところで、〈証拠〉によれば、分娩の際に分娩監視装置を使用して連続監視をすれば、胎児仮死の発見に役立つこと、特に、日本母性保護医協会分娩監視装置診断使用法委員会は、胎児心拍曲線と陣痛曲線の連続監視の対象症例として、分娩誘発、促進を行うとき、試験分娩を行うとき、分娩経過の異常もしくは異常の起こる可能性の強いときなどを挙げていることが認められる。しかし、〈証拠〉によれば、日本母性医協会が昭和五四年六月に行った調査の結果では、当時、分娩監視装置の保有率は二二・一パーセントであり、分娩監視装置を設置して連続的な分娩監視をする医療水準に至っていたと認めることは困難であるというほかない。従って、前記二2(二)認定のとおり、個人経営の病院としてはその規模はかなり大きい被告病院の場合でも、分娩監視装置を設置し、これを使用して分娩監視をすべきであったと認定することは困難である。

(三)  また、前記認定のとおり、診療録に胎児心音の測定結果が五回しか記載されておらず、その他〈証拠〉によれば、診療録には右記載の他、陣痛の状態、メトロイリンテルの脱出した時刻、子宮口の開大、頸管の展退度、先進部の下降度、児頭の回旋等の内診所見、母体の全身状態、投与薬剤の量(点滴の速度)が全く記載されていないことが明らかである。しかし、被告本人の供述によれば、被告は、吸引分娩を試みた際には、常時ドップラーにより胎児の心音の変化の状態を聞いており、また、被告は、子宮口の開大や頸管の展退度、児頭の状態について監視をしていた(前記二2(八))というのであって、診療録にこれらの事実が記載されていないことのみから直ちに被告がこれらの事実について全く監視を怠り、あるいは監視が不十分であったと認定することはできないと考えられる。

(四)  従って、未だ被告に、右注意義務違反があったと認めることは困難である。

4  二回目の吸引分娩を行わず、直ちに帝王切開を実施することを怠った過失について

(一)(1) 前記二2(八)認定のとおり、被告は、本件分娩当日の午後五時一五分ころ、吸引カップによる吸引分娩を試みることにし、二回にわたり吸引を試みたものの、結局娩出することができなかったものであるが、吸引分娩を試みた際の原告郷子の状態は、子宮口開大度が一〇センチメートルで全開大、頸管展退度も一〇〇パーセントになり、メトロイリンテルがとれ児頭が固定し、児頭が骨盤濶部と骨盤峡部の中間位の位置まで下降していたことがうかがわれる。なお、前記二2(五)、三1(二)(2)認定のとおり原告郷子は扁平仙骨及び中部産道狭小骨盤であることが認められるが、鑑定の結果によれば、扁平仙骨の場合には、骨盤濶部以下が狭く、児頭の回旋が妨げられ、また、定位に異常を来しやすいので、児頭は固定したように見えても吸引は先進部を牽引し、いたずらに児頭に圧迫を加えるのみで、それ以上の分娩の進行を期待できない場合のあることが認められる。

(2) 前記二2(八)認定のとおり、被告らは、本件分娩手術に際し、ドップラーにより児心音を継続して聴取していたところ、被告本人尋問の結果によれば、吸引分娩を試みるまでの心拍数は正常であったが、一回目の吸引分娩を試みた際には、一分間一三〇ないし一六〇あった心拍数が一分間七〇ぐらいまでに落ち、元に回復するのに一分間くらいを要し、二回目の吸引分娩の際には、同じく心拍数が一分間六〇ないし七〇に低下し、元に回復するのに一分ないし二分間を要した。また、被告本人尋問の結果によれば、右吸引分娩を試みていた時間は一〇分から一五分くらいであったことが認められる。

ところで、〈証拠〉によれば、胎児仮死があり低酸素状態が進行すると脳血管の透過性が高まり頭蓋内出血を来たしやすくなり脳性麻痺に連らなる原因になりうるから、胎児仮死の判断には児心音の観察及びそれに基づく適切な処置が重要であるところ、妊娠末期の毎分の胎児心拍数は平均一四六で、一二三以下の場合には胎児に何らかの影響が加わったと考えることができ、また、分娩第二期における児頭の圧迫による胎児心拍数の一過性の低下は、軽度であり一分間八〇を切ることは余りなく、持続時間も三〇秒までであることが多く、陣痛終了後三〇秒も持続する徐脈(一分間六〇以下の心拍数の減少)がみられる場合の胎児の予後は不良とされていることが認められる。右事実に照らせば、本件吸引分娩の際の前記児心音の低下はいずれもその程度が極めて大きく、持続時間も長いことから、胎児は胎児仮死の状態に陥っていたものと認められる。従って、前記二2(一二)(一三)各認定のとおり、原告直也は、出生後頭蓋内出血、更に脳性麻痺とそれぞれ診断されているが、右認定の事実、被告本人尋問の結果及び鑑定の結果によれば、右吸引分娩の際の児心音の低下が胎児仮死、頭蓋内出血、その後の脳性麻痺の原因であると認めることができる。

(3) そして、前記二2(九)認定のとおり、被告らは、二回目の吸引分娩を試みたが失敗に終ったので、帝王切開による方法に切換え原告直也を娩出させたが、同人の頸部には臍帯が三回巻絡していたものであるところ、〈証拠〉によれば、分娩前に臍帯巻絡を診断することは困難であるけれども、前記ドップラー装置で臍帯唸音を聴取すれば臍帯巻絡につき疑を置くことができるし、他に原因が認められないのに児頭の下降が遅れ分娩第二期(前記(1)認定の事実によれば、吸引分娩開始直前における原告郷子の状態が分娩第二期であることは明らかである)が遷延する場合には臍帯巻絡を疑うべきであると認められる。

(4) 〈証拠〉によれば、診療録には、一回目の吸引分娩の際の児頭の位置や児頭の回旋、定位の状態、一回目の吸引により児頭にどのような変化がもたらされたのか、一回目の吸引をどの程度で中止したのか、それとも滑脱したのか、この間の陣痛の状態は吸引を追加することにより児娩出を期待できるものであったか等についての記載がされていない。

(二)(1) 右の各事実によれば、吸引分娩を開始する直前における原告郷子の状態は、子宮口開大度が全開大、頸管展退度が一〇〇パーセント、児頭が骨盤濶部と骨盤峡部の中間位まで下降しており、しかも同原告がC・P・Dであると認めることができず(前記1認定のとおり)、かつ被告本人尋問の結果によれば、吸引分娩開始までの胎児の心音は正常であったというのであるから、右の段階で第一回の吸引分娩を試みた被告らの処置は正当であったということができる。

(2) しかし、(1)右にみたように、原告郷子がC・P・Dとは認められず、かつ児頭が骨盤濶部と骨盤峡部の中間位にまで下降しているのに、吸引分娩を試みても依然として胎児が娩出しなかったのであるから、その段階で臍帯巻絡の可能性を疑うべきであって、そのまま再度吸引分娩を試みても同一の結果になることは容易に予測できたことであり、(2)また、胎児の心音の低下が胎児仮死、頭蓋内出血を来たしやすく、予後に重大な影響を及ぼすことが明らかなのであるから、被告らが原告郷子に対し第一回の吸引分娩を試みた際に、それまで正常であった胎児の心拍数が一気に一分間七〇くらいにまで急減し、しかも元に復するのに一分ほどの長時間を要した以上、そのまま漫然再度の吸引分娩を繰り返すことは危険であり、直ちに帝王切開に切換えるべきであったのに、被告らは再度吸引分娩を行ったことにより第一回の吸引分娩時よりも更に胎児の心拍数を減少させ、しかもその回復に更に長時間を経過させたことが明らかである。(3)してみると、前示のように、胎児であった原告直也の児心音の低下が胎児仮死、頭蓋内出血、更に脳性麻痺に連らなるものと認められるところ、被告らの右不注意による第二回目の吸引分娩の処置が少なくとも原告直也の右症状の原因になったことが否定できないというほかなく、この判断を覆すに足りる証拠はない(なお、〈証拠〉によれば、吸引分娩の適応としては胎児仮死の場合も挙げられており、胎児仮死であると考えられた場合にも吸引分娩をすることは可能であるということができるが、少なくとも以上に説示した事実関係にある本件分娩においては、再度の吸引分娩は不適切である)。

(三)  以上の次第で、被告には、二回目の吸引分娩を行わずに帝王切開を実施すべき注意義務違反があったものと認めることができ、また、原告直也の本件脳性麻痺との間に因果関係の存在も認めることができる。

以上のとおりであって、被告には原告直也の本件脳性麻痺の結果発生につき責任があるというべきであるから、その余の点(請求原因3(一)(5)(6)及び(二))につき判断するまでもなく、被告は右により被った原告らの損害を賠償すべき義務がある。

四  原告らの損害について

1  原告直也の逸失利益 三一二八万〇五一二円

(一)  就労可能年数

前記一のとおり原告直也が昭和五四年二月一六日生れの男児であることは当事者間に争いがなく、満一八歳から満六七歳まで四九年間就労可能であることは顕著な事実である。

(二)  収入

労働省発行の昭和五五年賃金センサスによれば、男子労働者の同年年間給与額は三四〇万八八〇〇円であることが明らかであるから、原告直也は前記就労期間中少なくとも年間同額程度の収入を得られたものと推認できる。なお、ベースアップ分として五パーセントを右に加算することを肯定するに足りる理由も証拠もない。

(三)  労働能力の喪失

前記二2(一三)及び(一四)の事実によれば、原告直也は本件脳性麻痺による体幹機能障害により身体障害者二級の認定を受けており、労働能力を一〇〇パーセント喪失していると認められる。

(四)  逸失利益の現価

原告直也は、本件訴提起時である昭和五八年(同原告は四歳)を基準に逸失利益の現価をライプニッツ式計算法により算定しているので、それによると三一二八万〇五一二円となる。

(3,408,800円×(19.0759-9.8986)=31,280,512円)

2  原告勝則の積極損害 三六万九七八〇円

原告勝則は、原告直也のリハビリテーション等のために支出したとして計一六七万四二二〇円の損害賠償を求めているが、原告郷子本人尋問の結果によれば、〈2〉の雑費のうち二万九〇〇〇円(〈証拠〉により原告直也が川崎市立病院に入院したと認められる二九日間につき、同原告の前記二2(一二)の症状を考慮し、一日一〇〇〇円宛)、〈4〉のリハビリ用机購入費一万円、〈5〉のリハビリ用三輪車購入費一九八〇円、〈6〉のバギー(手押車)購入費一万九八〇〇円、〈7〉の背骨矯正用整体費用六万三〇〇〇円、〈8〉のリハビリ保育園料二四万六〇〇〇円、計三六万九七八〇円についてはこれを認めることができる。

しかし、〈1〉の交通費については、原告郷子の供述によれば、住所地の館山市から東京都内の病院に行く交通費であることがうかがわれるが、同原告本人の供述によってもその内訳、内容が明らかではないし、〈3〉の付添費についても、同原告本人の供述によれば、原告直也が単独行動できないので付添ったり、同原告の入院時に付添った際の費用分として請求していることがうかがわれるが、やはり右原告郷子本人の供述によってもその内訳、内容が明らかではない(本件全証拠によっても、原告直也の川崎市立病院入院期間中に原告郷子が付添ったとの事実は認められない)から、これを認めることはできない。ただし、前記二2(一三)の事実及び原告郷子本人尋問の結果によれば、右〈1〉及び〈3〉の関係で費用を支出していることは認められるので、この点後記3の慰藉料算定に際し考慮するものとする。

3  慰藉料

(一)  原告直也の慰藉料 一〇〇〇万円

前記二2(一三)及び(一四)の事実によれば一〇〇〇万円が相当である。

(二)  原告勝則、同郷子の慰藉料 各二五〇万円

原告直也の右症状に照らせば(なお、前記2説示のとおり)、同原告の両親であることが前記一のとおり当事者間に争いのない原告勝則、同郷子の各慰藉料は各二五〇万円が相当である。

4  弁護士費用

本件事案の難易度に照らし、原告ら請求の認容額の五パーセントが相当であると認められるから、原告直也につき二〇六万四〇二五円(四一二八万〇五一二円×五パーセント)、同勝則につき一四万三四八九円(二八六万九七八〇円×五パーセント)、同郷子につき一二万五〇〇〇円(二五〇万円×五パーセント)となる。

5  以上の各事実によれば、被告は、原告直也に対し四三三四万四五三七円、同勝則に対し三〇一万三二六九円、同郷子に対し二六二万五〇〇〇円及び右各金員に対する不法行為後(訴状送達の翌日)である昭和五九年一月一七日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務を負担していることが明らかである。

五  結論

以上の次第であって、原告らの本訴請求は主文の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言につき、同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 澁川 滿 裁判官 太田剛彦は転補のため、裁判官 若園敦雄は出張のためいずれも署名捺印することができない。裁判長裁判官 澁川 滿)

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